こんにちは!山梨にアトリエを構えるDIYアートラボ(絵画教室)「アトリエミライ」のミライです。
今回は、先日開催期間が終わった山梨県立美術館の「フランソワ・ポンポン展」見に行ってきました!
す〜ッッゴク良かったので「フランソワ・ポンポン展」の感想レポートがてら、ポンポンについてご紹介したいと思います!
目次
フランソワポンポンってどんな人?経歴や作品の特徴は?
ポンポンのプロフィール&経歴
フランソワ・ポンポン(François Pompon)
生年月日:1855年5月9日 - 1933年5月6日(77歳で死去)
出身:フランス・ブルゴーニュ
職業:彫刻家!
学歴:国立美術学校エコール・デ・ボザール
フランソワ・ポンポン氏はお父さんが家具職人で、父親の仕事をみて育ったそうです。
ポンポンは父親の仕事の正確さやデッサンの緻密さなどを見て育ったそうです。
お父さんの才能と技術を受け継いでる感じですね!
フランソワ・ポンポン氏、若い頃から出来過ぎ!天才です
21歳の頃、フランソワ・ポンポンは彫刻家を目指してパリへ!
首府のディジョンの墓石屋の大理石職人として働きながら美術学校の夜間課程に通い彫刻の基礎を学びました。
ちなみに、24歳の頃のポンポンの作品がこちら「D氏」
初めて展覧会に出品した作品と言われています!
明日5月9日は#フランソワポンポン の誕生日!
— フランソワ・ポンポン展 〜動物を愛した彫刻家〜 (@pompon_ten) May 8, 2021
1855年に木工家具職人の子として、双子の兄弟エクトールと共に生まれました。
若い頃は父親の工房や墓石を彫る職人の見習いとして働き、やがて彫刻家の道へと進みます。#フランソワポンポン展#日本初の回顧展#動物を愛した彫刻家#FrançoisPompon pic.twitter.com/pw5CkG8gQp
24歳??うますぎだがや!!
もう完成しとるやん!
実際にこの像を見たときにもう心を掴まれました。
フランソワ・ポンポンの作品は写真でしか見たことがなかったのですが、写真からも伝わってくるその滑らかさや丸み、シンプルなフォルムと気持ちよさ・・・。それらがもう初期のポンポン氏の作品からすでに垣間見えています。
生活のための墓石堀りでもどんどん技術を磨いて行ったんでしょうね。
ちなみにフランソワ・ポンポンさんは初期の頃から表面のテクスチャーにこだわりを持っていたようです。
この先の作品たちも表面のテクスチャーやフォルムに相当こだわりを感じるものばかりでした。
フランソワ・ポンポンの素描や習作が素敵すぎた!
展覧会ではポンポンの素描もあったのですが、シロクマの作品からもわかる様に丸みを帯びてどこかあったかさのある素描でした。
シンプルかつ正確に、かつ温かみのある線で描かれた素描からはポンポンの正確な観察眼と温かみのある人柄が伝わってきました。
そんなポンポンさん、結構ユーモラスな方で、こんな逸話があります!
ポンポンの「カイエンヌの雌鶏」彫刻は限りなくディテールが削ぎ落とされていて、写実的な動物彫刻が主流だった当時、「毛や羽根がない鳥」!と行って皮肉な批評をされたそうです。
それに対してポンポンさんは「羽をむしられて駆け回る雄鶏」など羽根のない鳥のスケッチを描き、ユーモアで答えたそうです。
手羽の感じがたまらない・・・分かるわぁ。
ユーモアは世界を優しく包むね!
今の時代のSNSの口々の批評批判にもユーモアをプラスしたいよ・・・
フランソワ・ポンポン氏は彫刻のエリートなのに、長年日の目を見なかった
今では動物彫刻家として知られるフランソワ・ポンポンですが、最初の頃は・・・といっても30代、や40代半ばと、かなりの間ですが人物の彫刻家を目指していたそうです。
文学を題材にしたコゼットという作品については万博に出品して銅賞をとっており、かなりいい線までいったようです。
【名古屋】
— フランソワ・ポンポン展 〜動物を愛した彫刻家〜 (@pompon_ten) November 5, 2021
ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」に登場する少女コゼット。
僅か5歳で宿屋の女中がわりに働かされていたコゼットが井戸へ水くみに行く姿。
風に吹かれる服や水桶に添えられた花、重い水桶を懸命に持ち上げる姿がドラマティックに表現されています。
群馬県立館林美術館蔵 pic.twitter.com/cyhF8uJF0i
しかしながら33歳の時に発表した《コゼット》は高く評価され、ロダンの推薦、他にも数々の支援や推薦があったのに、国から買い上げられることなく、華々しく人物彫刻で成功できる機会がなかなかありませんでした。
そうはいってもポンポンさんは当時の彫刻の世界で相当エリートで仕事ができる人だったと思われます。なにせロダンのところで職長(アトリエ長)になったくらいですから。
でもロダンのところでは給料があまり良くなかったようです。そんなことも理由か、ロダンの元からはなれ、当時有名だった彫刻家、サンマルソーさんから仕事をもらうようになったそうです。(ロダンのところからの引き抜きのような形で)
また、人物彫刻で成功したかったという記述があったので野心的なところがあるのかと思いきや、ポンポンさんは60歳くらいまで彫刻家の仕事をもらうという立ち位置で、他の彫刻家のために仕事をしていたのを思うと、けっこう穏やかでマイペースな人柄が伺えます。
しかしながら
Quand vous avez un succès, enfermez-vous dans votre atelier et travaillez.
芸術家は「成功したら作品を作って協力をし続けることだよ」
という言葉を残していることからも、相当働き者だったのではないかと思われます。
ちなみに美術館の展示はこの言葉で最後締めくくられていましたが、個人的には展示の途中にあったポンポンの言葉(最後に病院に行くとき)
「ポンポンは田舎に行ってきます」
というメモを残して最後病院に出かけたという話がポンポンらしいな・・・と思っています。
ちょっと気になる!POMPON(ポンポン)って本名なの??!!
そして、最後にちょっとした小ネタですが、
フランソワ・ポンポンという名前、可愛いですよね。
てっきりブランド名みたいなものかと思っていたら、どうやら本名のようです!
「ポンポン」POMPONという言葉をフランス語で調べると
[男性名詞]
➊ (衣服,帽子,カーテンなどにつける)玉房(たまぶさ),ポンポン.
➋ 〖植物〗 (バラ,ダリヤ,菊などの)ポンポン咲きの花.
une rose pompon|ポンポンばら.
だそうです!
こちらがポンポン薔薇で
こちらが帽子に使う房、装飾のポンポン
日本語で言う苗字「田中さん」→田んぼの中
というかんじで、フランソワ・ポンポンさんは「ポンポン」を作る人、もしくは「水兵さん」といったご先祖だったかもしれませんね!
まとめ
フランソワ・ポンポン展のシェアとポンポンさんについて知るいい機会になればと言うことで記事を書きました。
最後に、私がフランソワ・ポンポン展で彼の人生の流れを知って思ったことは、どんな芸術家もその時代に名声をなしても後世では受け継がれない人もいれば、その時代に芳しくなくてもなくなった後有名になる方もいるという事実。それとともにポンポンさんの様になかなか日の目をみない芸術家でも、晩年になって成功するという例とその流れもあるということ。
またポンポンさんの作風は現代にマッチしていて、彼が時代をかなり先取りしていた方だったという驚きと尊敬の念。また作家にとって作品によって生活が豊かになるかどうかは時代に受け入れられるかどうかが大きいという感想。
今こうして芸術家として語られるポンポンさんも、リアルな生活では、知り合いの動物の彫刻を作ったり、有名先生から仕事をもらっていたり、鋳造工場さんとタッグを組んだり、普通に今の時代の仕事と一緒で、人間関係と技術とで、お仕事が成り立っていたという事実。そこから当時の芸術家としての働き方を見るいい機会になりました。
皆さんはどんな視点でポンポンさんを感じましたか?
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